はじめに
まだ少し肌寒い朝、静かな部屋でコーヒーを淹れる。立ちのぼる湯気の向こうに広がる時間は、数字や売上に追われていた頃には想像もできなかったほど、穏やかで、どこか心もとないものです。
「サラリーマンとして定年まで勤め上げ、安定した老後を迎える」。それが、私たちの世代に無言で課せられた、社会の「正解」だったように思います。多くの人がその道を歩み、今も社会を支えている。その姿を、私は心から尊敬しています。
けれど、私はそのルートに、どうしても馴染むことができませんでした。50代で早期退職を選んだのは、心身のバランスを崩し、その仕組みの中で生き続けることが難しくなったからでした。
1. スーツという服が合わなかっただけ
サラリーマンという働き方は、世の中の「標準」です。その枠組みの中でやりがいを見つけ、幸せに暮らせる人はたくさんいます。ただ、その「普通」という服が、どうしても窮屈で苦しくて仕方のない人間が、私以外にもいるのではないでしょうか。
「みんなができていることが、なぜ自分にはできないのか」。そう自分を責めていた時期もありました。けれど、今はこう思います——それは単に、服のサイズが合っていなかっただけなのだと。
当たり前だと思っていたルールを、一度立ち止まって疑ってみる。そこから、私の新しい生活が始まりました。
2. 荷物を降ろして、身軽になる
思えば、私たちはあまりにも多くのものを背負いすぎていませんか。住宅ローン、教育費、介護、そして会社での評価や期待。「これらをすべて背負ってこそ一人前だ」という価値観は、時に人を追い詰め、自分自身の本当の声をかき消してしまいます。
レールから外れる怖さは、もちろんありました。長年守ってきた看板を下ろすときは、足元が崩れるような感覚でした。けれど、荷物を一つずつ降ろしてみると、意外なことに気づきます。「あ、これ、持っていなくても生きていけるんだな」と。
全部を一度に投げ出す必要はありません。自分を締め付けている重い荷物を、そっと一つだけ置いてみる。それだけで、世界は少しだけ良いものに見えてくるかもしれません。
3. 効率的ではないけれど、心地よい場所
私はこれから福岡へ移住し、古い団地で質素に暮らす準備をしています。世の中の物差しで見れば、それは決して格好のいい生き方ではないのかもしれません。けれど、多数派が選ぶ正解だけが、この世界のすべてではないと思うのです。
大きな仕組みに適応できなくても、自分に合った「小さな場所」を見つけることはできる。会社の肩書きも年収の多寡も関係ない、もっと静かで、自分の呼吸がしやすくなる場所。そんな生き方にも、十分な価値がある——今は、そう信じています。
おわりに
私にとっての正解だと思っていた幻想から降りた先には、何もない荒野が広がっているのではと心配もしました。でも、そこにはきっと、私と同じように不器用に、けれどそれぞれ自分の歩幅で歩いている人たちがいるのだと感じます。
もしあなたが今、「世間の正しい社会人」でいようとして疲れ果てているのなら、ほんの少しだけ荷物を降ろして、自分のための時間を持ってみてください。まずはそれだけでいいと思います。
今の私は、そう思っています。
